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厳島 (防護巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
厳島
基本情報
建造所 地中海造船鉄工所[1](Forges et Chantiers de la Mediterrane[2]フランス、ラ・セーヌ[1])
艦種 海防艦[3]防護巡洋艦[4]
母港 [5]
艦歴
計画 明治18年(1885年)度[1]
起工 1888年1月7日[4][6]
進水 1889年7月18日[4][6]
竣工 1891年9月3日[4][6]
除籍 1919年4月1日[6][7]
その後 1925年廃船認許[8]、その後売却[1]
要目
排水量 4,210英トン[6]
1894年6月時:4,278英トン[3][9]
全長 325 ftin (99.21 m)[10]
水線長 301 ftin (91.74 m)[10]
垂線間長 295 ftin (89.92 m)[10]
水線幅 51 ftin (15.62 m)[10]
深さ 35 ftin (10.67 m)[10]
吃水 平均:20 ftin (6.10 m)[10]
ボイラー円缶 6基[11]
主機 横置3気筒3段レシプロ 2基[12]
推進 2軸 x 108rpm(内回り)[12]
出力 5,830馬力[12]
公試:5,123馬力[9]
速力 16ノット公試:17.0ノット[9]
燃料 石炭:680トン[11]
1904年:石炭683トン[13][9]
乗員 1890年10月定員:360名[14]
兵装 32cm砲1門
12cm砲11門
47mm砲5門
35.6cm魚雷発射管4門
装甲 甲板:2in(50.8mm)[15]
砲塔:12in(305mm)[15]
砲盾:4in(102mm)[15]
その他 船材:[6]
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厳島(いつくしま)は日本海軍海防艦[3]、または防護巡洋艦[4]。 艦名は名所の名で日本三景の一つ、安芸国厳島から採られた[6]松島橋立は姉妹艦[6]

概要

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艦首から撮影された本艦。(1897年)

日清戦争に参加。 日露戦争では第三艦隊旗艦として活躍し、日本海海戦においてバルチック艦隊発見を受電して急行、その後バルチック艦隊と並走して東郷平八郎司令長官に向け、正確な位置、隊形、針路などを詳細に通報し、海戦の前座を見事に務めた。

なお、松島型二番艦とするのが普通であるが、松島より先に起工、竣工しているため、厳島型と呼ばれることもある。

艦型

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本艦の武装・装甲配置を示した図。

建造にいたる経緯については、松島を参照。主砲であるカネー社製32cm(38口径)単装砲は、松島と違い前部甲板に据え付けられたため、艦形としては収まりがよい。また、副砲以下の装備についても若干相違がある。

艦歴

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建造

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1888年(明治21年)1月7日、地中海鉄工造船所(フランス)で起工。 1889年(明治22年)7月18日進水1891年(明治24年)9月3日竣工。 第一種に編入された[1]

1892年

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1892年(明治25年) 5月21日、横須賀港に到着[1]、 5月30日、厳島は警備艦に指定された[16]

1893年 - 1894年

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1893年(明治26年)6月27日、常備艦隊に編入された[17]

1894年(明治27年)3月21日、修理のために常備艦隊の役務を解かれ[18]、 7月8日再度常備艦隊に編入された[19]

日清戦争

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1894年(明治27年) 8月1日 日清戦争開戦、連合艦隊本隊所属 。 9月17日 黄海海戦1895年(明治28年) 2月 威海衛攻撃終了、清国降伏。

1895年

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1895年(明治28年)7月29日、常備艦隊の役務を解かれた[20]。 9月28日、厳島は警備艦に定められた[21]

1898年

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1898年(明治31年) 3月21日、二等巡洋艦に類別された[1]

1900年

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1900年(明治33年) 北清事変により8月から11月迄、上海の警備を行った[1]

修理

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1901年(明治34年)、 呉造船廠ボイラー円缶からベルビールに換装した[1]

遠洋航海

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1901年(明治34年) 2月から8月、少尉候補生の東南アジア、清方面の遠洋航海に従事した[1]

1903年(明治36年)、 同じく少尉候補生の遠洋航海に従事した[1]

日露戦争

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1904年(明治37年)、第三艦隊旗艦として日露戦争に参加。対馬警備の後に旅順封鎖に参加。一度他に旗艦を譲り、黄海海戦の前日には損傷を受け、修理中だったため海戦には参加できなかった。1905年(明治38年)には第三艦隊旗艦に復帰して日本海海戦に参加。樺太作戦には第四艦隊旗艦として参加した。

1906年 - 1908年

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明治39年度、明治40年度、明治41年度の少尉候補生の遠洋航海に従事した[1]

1912年

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1912年(明治45年) 6月に浪速が遭難、室蘭に碇泊していた厳島は6月27日に同地を出港し救助に向かった[22]。 1912年(大正元年)8月28日、二等海防艦に類別が変更された[1]

除籍

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1919年(大正8年)4月1日除籍[7]、 雑役船に編入され、潜水艇母船に指定、厳島丸と改称した[1]

1920年(大正9年) 1月15日、厳島丸は潜水艦4隻の繋留母船に改造されることになり[23]、 7月1日厳島と改称し、潜水艇母船から潜水艦母艇に変更になった[24]。 9月15日厳島海軍潜水学校付属となり[25]、 9月24日、呉防備隊から引渡し[26]、 校舎として使用された[25]

1924年(大正13年) 3月22日に海軍潜水学校は新築移転、以後厳島は倉庫として使用された[25]。 9月8日に韓崎が海軍潜水学校附属となり、海軍潜水学校は厳島を必要としなくなった[25]。 12月13日、船体老朽のため海軍潜水学校から呉海軍港務部へ引渡された[27]

1925年(大正14年)3月30日廃船認許[8]。 5月20日呉海軍工廠に引き渡された[28]。 同年10月14日 舞鶴飯野商事会社呉支店に売却、11月29日から大正15年(1926年)7月に呉吉浦で解体された[1]

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

回航委員長
艦長
  1. 磯辺包義 大佐:1891年4月13日 - 1892年7月12日
  2. 伊地知弘一 大佐:1892年9月5日 - 1894年2月26日
  3. 尾形惟善 大佐:1894年2月26日 - 3月21日
  4. 横尾道昱 大佐:1894年6月28日 - 12月17日
  5. 有馬新一 大佐:1894年12月17日 - 1895年6月5日
  6. 松永雄樹 大佐:1895年9月28日 - 1896年8月13日
  7. 平尾福三郎 大佐:1896年8月13日 - 1898年10月1日
  8. 斎藤実 大佐:1898年10月1日 - 11月10日
  9. 舟木錬太郎 大佐:1898年11月10日 - 1899年3月22日
  10. 細谷資氏 大佐:1899年3月22日 - 1899年10月13日
  11. 新島一郎 大佐:1900年6月19日 - 1901年8月30日
  12. 松本和 大佐:1902年10月23日 - 1903年9月26日
  13. 成田勝郎 大佐:1903年10月15日 - 1904年6月19日
  14. 丹羽教忠 大佐:1904年6月19日[29] - 1905年1月12日
  15. 土屋保 大佐:1905年1月21日 - 1906年10月12日
  16. 名和又八郎 大佐:1906年10月12日 - 1907年8月5日
  17. 小花三吾 大佐:1907年8月5日 - 1908年9月1日
  18. 田中盛秀 大佐:1908年9月1日 - 12月10日
  19. 笠間直 大佐:1908年12月10日 - 1909年12月1日
  20. (兼)小黒秀夫 大佐:1910年6月3日 - 6月22日
  21. 田所広海 大佐:1910年6月22日 - 9月28日
  22. 秀島成忠 大佐:1910年12月1日 - 1911年12月1日
  23. 南里団一 大佐:1911年12月1日 - 1913年11月5日
  24. 久保来復 大佐:1913年11月5日 - 1914年8月23日
  25. 増田高頼 大佐:1914年12月1日 - 1915年5月1日
  26. (兼)岡田三善 大佐:1915年5月1日 - 1916年3月15日
  27. (兼)本田親民 大佐:1916年3月15日 - 12月1日
  28. (兼)糸川成太郎 大佐:1916年12月1日 - 1918年12月1日[30]
  29. (兼)福田貞助 大佐:1918年12月1日 -

脚注

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出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 中川努「主要艦艇艦歴表」#全艦艇史(1994)資料篇p.3、厳島
  2. ^ #日本の戦艦(上)2001pp.20-21
  3. ^ a b c #海軍軍備沿革p.48
  4. ^ a b c d e #日本の戦艦(上)2001p.27
  5. ^ #内令提要7版/艦船(1)画像1-3、艦艇本籍別一覧表 大正四年四月一日調。
  6. ^ a b c d e f g h #艦船名考(1928)p.64-65、厳島
  7. ^ a b #T8達/3月画像58、大正8年4月1日達第43号
  8. ^ a b #T14公文備考25/処分画像5
  9. ^ a b c d #帝国海軍機関史(1975)下巻p.279、戦役従軍艦艇及其の最近高力運転成績。
  10. ^ a b c d e f #日本の戦艦(上)2001p.106
  11. ^ a b #日本の戦艦(下)2001p.42
  12. ^ a b c #日本の戦艦(下)2001p.48
  13. ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻p.263、戦役中艦艇石炭搭載成績表
  14. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.190-192、明治23年10月18日(勅令235)軍艦団隊定員
  15. ^ a b c #日本の戦艦(上)2001p.216
  16. ^ #M25達/5月画像10、明治25年5月30日達第38号
  17. ^ #M26達(上)/6月画像47、明治26年6月27日達第75号
  18. ^ #M27達(上)/3月画像32、明治27年3月21日達第35号
  19. ^ #M27達(下)/7月画像32、明治27年7月8日達第113号
  20. ^ #M28達/7月画像8、明治28年7月29日達第61号
  21. ^ #M28達/9月画像8、明治28年9月28日達第97号
  22. ^ #M45(T1)公文備考41/遭難諸報告(2)画像28
  23. ^ #T9公文備考22/改造(2)画像11-12、大正9年1月15日官房機密第51号
  24. ^ #T9達/7月画像13-17、大正9年7月1日達第115号の2
  25. ^ a b c d #T13公文備考24/配属(5)画像1-3、大正13年10月29日呉鎮第121号の3「雑役船厳島に関する件」
  26. ^ #T9公文備考23/引渡授受画像29、大正9年9月24日潜学第83号の2
  27. ^ #T13公文備考24/保管転換画像29
  28. ^ #T14公文備考24/引渡授受(2)画像33-34
  29. ^ 明治三十七年辞令通報 6月」 アジア歴史資料センター Ref.C13071937900 
  30. ^ 『官報』第1900号、大正7年12月3日。

参考文献

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  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • 泉江三『軍艦メカニズム図鑑 日本の戦艦 上』グランプリ出版、2001年4月。ISBN 4-87687-221-X 
  • 泉江三『軍艦メカニズム図鑑 日本の戦艦 下』グランプリ出版、2001年5月。ISBN 4-87687-222-8 
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 「海軍軍備沿革」、海軍大臣官房、1921年10月。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 官報
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『明治45年大正元年 公文備考 艦船15 浪速遭難一件 2止 巻41/遭難諸報告(2)』。Ref.C08020058400。 
    • 『大正9年 公文備考 艦船2 巻22/改造(2)』。Ref.C08021559000。 
    • 『大正9年 公文備考 艦船3 巻23/引渡授受』。Ref.C08021560500。 
    • 『大正13年 公文備考 艦船4 巻24/保管転換』。Ref.C08051098000。 
    • 『大正13年 公文備考 艦船4 巻24/配属(5)』。Ref.C08051098500。 
    • 『大正14年 公文備考 艦船4 巻24/引渡授受(2)』。Ref.C08051370700。 
    • 『大正14年 公文備考 艦船5 巻25/処分』。Ref.C08051372600。 
    • 『明治25年 達 完/5月』。Ref.C12070029600。 
    • 『明治26年 達 上巻/6月』。Ref.C12070031100。 
    • 『明治27年 達 上巻/3月』。Ref.C12070033100。 
    • 『明治27年 達 下巻/7月』。Ref.C12070033900。 
    • 『明治28年 達 完/7月』。Ref.C12070035300。 
    • 『明治28年 達 完/9月』。Ref.C12070035500。 
    • 『大正8年 達 完/3月』。Ref.C12070075200。 
    • 『大正9年 達 完/7月』。Ref.C12070077300。 
    • 『第72号 7版 内令提要 完/第3類 艦船(1)』。Ref.C13072068600。 

関連項目

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